「7本指のピアニスト」として知られる西川悟平さん。
西川悟平さんは2021年の東京パラリンピック閉会式でピアノ演奏を披露し、フィナーレを飾りました。
その後、西川悟平さんはこう語られました。
「 “7本指で弾いている”というアナウンスが一度も無かった。ただただ自分が弾いた音だけが、世界中に響いている。それがすごくうれしかった」
「局所性ジストニア」で一度は絶望の淵に立ち、それでも夢を叶え、ピアニストとして多くの人に感動を与えている西川悟平さんが、2022年2月に私の町に来られます。
すごいです!
きっと、そこに来られた全ての人が明日からの希望をつかむはず!
今回は、西川悟平さんのプロフィールと経歴、コンサート2023の情報、父親や出身高校・大学について、舞台そして名言についてお伝えします。
西川悟平さんのプロフィールと経歴!
それでは、西川悟平さんのプロフィールと経歴についてご紹介します。
プロフィール
プロフィールについては、西川悟平さんのオフィシャルサイトより引用させていただきます。
経歴
西川悟平さんの経歴は以下のようになっています。
西川悟平さんは1974年に大阪府堺市に生まれました。
西川悟平さんさんがピアノを始めたのは中学3年も終わろうとしている15歳の頃でした。
西川悟平さんがピアノを始めた動機がなかなかおもしろいです。
当時所属していたブラスバンド部の先生が可愛くて、その先生にピアノを習い始めました。
そして、最初のレッスンの時に先生が弾いてくれたショパンのノクターンに衝撃を受けて、音大のピアノ科に行く決心をします。
でも、その先生は「絶対無理!」と相手にしてくれなかったとか。
それでも西川悟平さんはピアノの練習と楽典の勉強に必死に取り組み、短期の音楽大学に入学することができました。
しかし、大学卒業の頃にバブルが崩壊し、西川悟平さんは和菓子屋さんに就職しました。
それから数年後、故デイビッド・ブラッドショーとコスモ・ブオーノの来日コンサートで前座を務めるというチャンスが訪れます。
その時の演奏は緊張でうまくいかなかったのですが、その情熱溢れる演奏がデイビッド・ブラッドショーの目に止まり、1999年にニューヨークへ行くことになりました。
すごいですね!
しかし、ニューヨークで脚光を浴び始めた時に、ジストニアという病気になり、指が硬直して今までのようにピアノが弾けなくなってしまいます。
医師からは二度とピアノは弾けないと言われ絶望の淵にいた時に、幼稚園でピアノ教室をするという道が与えられました。
動ける指だけで「キラキラ星」を弾くと、子供達はとても喜んだそうです。
西川悟平さんはその後15年程、子供達にピアノを教えながら、動く指だけでの演奏方法を研究し、クラシックも弾けるようになりました。
そして2015年に「7本指のピアニスト」という本を出版し、西川悟平さんのことは広く知られるようになります。
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