5月が誕生日の音楽家にはチャイコフスキーやワーグナー、フォーレ、伊福部昭などがおられます。
それでは、5月が誕生日や命日の音楽家の生涯を少しだけ覗いてみましょう。
5月1日~10日 スカルラッティ、チャイコフスキーなど
5月1日は岩代太郎の誕生日
5月1日は岩代太郎さんの誕生日です。
岩代太郎さんは1965年5月1日、東京の世田谷区に生まれました。
お父様は同じ作曲家の岩代浩一さんです。
岩代浩一さんは熊本出身で、私の町で「つつじのさと音楽館」というコンサートを毎年プロデュースしてくださっていました。
まだできたばかりの大津少年少女合唱団を出演させてくださり、とてもお世話になりました。
岩代太郎さんは子どもの頃、お父様の故郷熊本に毎年来られていたそうです。
岩代太郎さんは小学生の頃、ベートーヴェンの「月光」を聴いて、それが弾きたくなり、独学でピアノを始めたそうです。
また、映画が大好きだった岩代太郎さんは、中学3年の頃に映画音楽の作曲家になりたいと思われたのだとか。
1991年、東京芸術大学音楽学部大学院修士課程を首席で修了され、修了作品「世界のいちばん遠い土地へ」は“シルクロード管弦楽国際作曲コンクール”で最優秀賞を受賞!
以降、様々な分野で活躍を続けておられます。
「ニューズウィーク」日本版では、「世界が尊敬する日本人100人」の特集記事で紹介されています。
今年2025年8月24日(日)、Bunkamuraオーチャードホールにおいて還暦&活動35周年を記念した特別公演「岩代太郎 60年目のシンフォニア~還暦記念コンサート~」が開催されます!
こちらはNHK連続テレビ小説「あぐり」オリジナル・サウンドトラックから「素晴らしき日々へ」他です。
5月2日はアレッサンドロ・スカルラッティの誕生日
5月2日はアレッサンドロ・スカルラッティの誕生日です。
アレッサンドロ・スカルラッティは1660年5月2日、イタリアのシチリア島で生まれました。
彼はオペラにおけるナポリ楽派の開祖とされています。
またチェンバロ・ソナタで知られるドメニコ・スカルラッティの父親です。
彼はローマで宮廷作曲家として活動し、後にナポリ宮廷の楽長となりました。
生涯に100以上のオペラと約600ものカンタータを作曲し、アリアとレチタティーヴォの形式を確立しました。
また鍵盤音楽や宗教音楽も多く作曲しましたが、その様式は息子ドメニコ・スカルラッティに継承されています。
イタリア歌曲集にはスカルラッティの曲がいくつも掲載されていますが、私は「Le violette(菫)」が大好きでよく練習していました。
これは、オペラ「ピッロとデメートリオ」の中のアリアです。
こちらは嶺貞子さんによる「Le violette」です。
5月3日はジョン・ルイスの誕生日
5月3日はジョン・ルイスの誕生日です。
ジャズ・ピアニスト、ジョン・ルイスは1920年5月3日、アメリカ イリノイ州に生まれました。
彼はジャズとクラシックの融合を図り、ジャズを芸術音楽として位置づけたことで知られています。
1952年にモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)を結成し、洗練されたアレンジと即興演奏を融合させた演奏スタイルで人気を博しました。
また60歳を過ぎてから5年の歳月をかけて「バッハ プレリュードとフーガ」を完成させました。
これはバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲に自身のアレンジを加えたもので、前奏曲はピアノ・ソロ、フーガはアンサンブルで演奏するというスタイルになっています。
バッハに対する敬意と作品から伝わる知性は多くの人を魅了しました。
こちらは、ジョン・ルイスの「バッハ プレリュードとフーガ」第6番と第21番です。
5月4日はバルトロメオ・クリストフォリの誕生日
5月4日はバルトロメオ・クリストフォリの誕生日です。
バルトロメオ・クリストフォリは1655年5月4日、イタリアのパドバに生まれました。
彼はピアノを発明した人物として知られています。
彼はフィレンツェの王子フェルディナンド・デ・メディチに雇用されてチェンバロの改良を続け、1709年にピアノの原型を作ったと言われています。
彼はその楽器に「グラーヴェチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(弱音と強音が出る大きなチェンバロ)」と名づけたことから、「ピアノ・フォルテ」そして「ピアノ」という名前になったと伝えられています。
彼は生涯に20台のピアノを作ったとされ、現在3台が残っていて、どれも1720年に製作されたものです。
その3台はニューヨークのメトロポリタン美術館とローマのイタリア国立楽器博物館、ライプツィヒ大学楽器博物館にあります。
彼はピアノ以外にも様々なチェンバロやスピネット、クラヴィコードなどを作りました。
河合楽器は1995年、1720年製のものを元にしてレプリカを製作しました。
現在、浜松市楽器博物館に所蔵されています。
こちらからスタッフによる演奏を聴くことができます。
5月5日は和田薫の誕生日
5月5日は和田薫さんの誕生日です。
和田薫さんは5月5日、山口県下関市に生まれました。
今年で63歳になられます。
和田薫さんはテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」や「金田一少年の事件簿」「学校の怪談」「犬夜叉」などの音楽の作曲者として知られていますが、それだけではなく純音楽の作品が多数で、吹奏楽コンクール課題曲になった「吹奏楽のための土俗的舞曲」など、広いジャンルで活躍されています。
大学時代は伊福部昭さんに師事されました。
和田薫さんのプロフィールはオフィシャルサイトからご覧ください。
http://www.kaoru-wada.com/?page_id=7
2025年5月26日には「伊福部昭総進撃 〜キング伊福部まつりの夕べ~」に指揮者として出演されました!
こちらは和田薫さん指揮で「犬夜叉幻想」です。
5月6日は ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストの誕生日
5月6日は ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストの誕生日です。
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストは1814年5月6日、オーストリア帝国(現在のチェコ)のブリュンに生まれました。
彼は9歳でヴァイオリンを始め、神童と言われました。
1828年、エルンストはパガニーニの演奏を聴いて魅了され、何とかその超絶技巧を自分のものにしようと努力します。
パガニーニが宿泊した宿の隣の部屋に泊まって練習を盗み聞きするほどだったそうです。
そして聴衆の前で『ネル・コル・ピウ変奏曲』を弾き、パガニーニを吃驚させたのだとか!
エルンストはパガニーニの後継者と言われ、ヨーロッパ中を演奏して回りました。
こちらは「フランツ・シューベルトの『魔王』による大奇想曲」作品26です。
5月7日はチャイコフスキーの誕生日
5月7日はチャイコフスキーの誕生日です。
ロシア音楽史上最高の作曲家とされるピョートル・チャイコフスキーは1840年5月7日、ロシアのヴォトキンスクで生まれました。
彼は5歳から本格的にピアノを習い才能を表しましたが、両親の意志で法律学校に入学しました。
卒業後は法務省で働いていましたが、23歳の時に法務省を辞め、ペテルブルク音楽院で本格的に作曲を学び始めました。
その後、作曲家として頭角を現し、三大バレエ音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」や交響曲第6番「悲愴」などを残しました。
交響曲第6番「悲愴」は1893年10月16日、チャイコフスキー自身の指揮でサンクトペテルブルクにおいて初演されました。
しかし初演から9日後、チャイコフスキーは53歳という短い人生に終止符を打つことになります・・・。
こちらはカラヤンの指揮による交響曲 第6番「悲愴」第4楽章 です。
5月8日はリーズ・ドゥ・ラ・サールの誕生日
5月8日はリーズ・ドゥ・ラ・サールの誕生日です。
ピアニスト、リーズ・ドゥ・ラ・サールは1988年5月8日、フランスのシェルブールに生まれました。
4歳でセルゲイ・ラフマニノフ音楽院に、8歳でパリ音楽院に入学し4年後首席で卒業しました。
幼い頃から「未来の巨匠の一人」と呼ばれたリーズはヨーロッパのコンクールで次々に1位を獲得し、2004年にはニューヨークのヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディションで優勝。
世界の名だたる指揮者、オーケストラとの共演を重ねてきたリーズですが、今年2025年、10年ぶりに来日しました。
5月5日にNHK交響楽団と共演し、7月13日と15日には読売日本交響楽団と共演。
7月17日にはヤマハホールでピアノ・リサイタルを行う予定です。
こちらはショパンのノクターン第20番です。
5月9日はジョヴァンニ・パイジエッロの誕生日
5月9日はジョヴァンニ・パイジエッロの誕生日です。
ジョヴァンニ・パイジエッロは1740年5月9日、イタリアのターラントに生まれました。
彼はナポリ楽派のオペラの作曲家として成功を収め、80以上のオペラを作りました。
ナポリで活躍していた頃、彼の作品はロシアの女帝エカチェリーナ2世の目に触れ、ペテルブルクの宮廷劇場の監督に任命されました。
1802年にはナポレオンに招かれ、パリの礼拝堂楽長となりました。
ナポレオンの兄、ジョゼフ・ボナパルトがナポリ国王の時代には宮廷音楽監督や音楽学校の校長を務めましたが、晩年はナボナパルト家の失墜とともに全ての職を失いました。
こちらは「水車小屋の娘」からアリア「Nel cor più non mi sento(もはや私の心には感じない)」です。
これはベートーヴェンがピアノのための変奏曲に引用したことでも知られています。
5月10日は外山雄三の誕生日
5月10日は外山雄三の誕生日です。
指揮者であり作曲家である外山雄三さんは、1931年5月10日、東京で生まれました。
外山雄三さんと言えば「管弦楽のためのラプソディ」がまず浮かんできます。
確か以前、中学校音楽の鑑賞教材だったと思います。
初めて聴いた時、心が躍りました!
外山雄三さんは東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で作曲を学び、卒業後NHK交響楽団に入団。
1956年NHK交響楽団を指揮してデビュー。
管弦楽のためのラプソディー」は1960年のNHK交響楽団の世界一周演奏旅行にあたり作曲されました。
この時、ヨーロッパ12ヵ国での演奏会があり、これによって指揮者・作曲家としてその名前が広がりました。
1979年にはNHK交響楽団正指揮者に就任。
1985年にはニューヨークで開催された国連40周年記念コンサートにNHK交響楽団とともに出演されました。
外山雄三さんは国内の多くの楽団の要職を歴任され、海外でもたびたびオーケストラや国際コンクールなどに招かれました。
作曲家としてはオペラ、バレエ音楽、交響曲、管弦楽曲、歌曲、合唱曲など多岐にわたって優れた作品を残しておられます。
こちらは外山雄三さんご自身の指揮による「管弦楽のためのラプソディー」です。
5月11日~20日 フォーレ、サティ、マーラーなど
5月11日はオットー・ニコライの命日
5月11日はオットー・ニコライの命日です。
彼はウィーン・フィルの前身となるフィルハーモニッシュ・アカデミー を創設した人です。
指揮者であり作曲家のオットー・ニコライは1810年6月9日、ケーニヒスベルクに生まれました。
幼い頃から楽才を現しましたが、やはり指揮者だった父親が彼を売り出そうとしたので、彼は16歳で親元を離れ、ベルリンで教会音楽を学びました。
その後ウィーンに行き、ケルントナートーア劇場の楽長に就任。
ウィーン・フィルの前身となるフィルハーモニッシュを創設し、シェイクスピアの喜劇に基づく「ウィンザーの陽気な女房たち」など5つのオペラや管弦楽曲・合唱曲を作曲しました。
しかしベルリンの王立歌劇場の宮廷礼拝堂楽長に就任する2日前、脳梗塞で倒れ、38歳という短い生涯を終えました。
こちらは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ウィーン・フィルによるオペラ<「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲です。
5月12日はフォーレの誕生日
5月12日はフォーレの誕生日です。
ガブリエル・フォーレは1845年5月12日、フランスのパミエに生まれました。
彼は9歳でニデルメイエール音楽学校に入学してサン=サーンスに師事することになり、二人は生涯の友となりました。
1896年、フォーレはパリ音楽院の教授となり、ここでラヴェルを教えることになります。
愛弟子のラヴェルがローマ大賞への6度目の応募で予選落ちになりパリ音楽院への批判が殺到する「ラヴェル事件」の後、フォーレは院長になりパリ音楽院の改革を進めました。
しかし、この頃、彼の聴覚障害は進行していて「二重聴覚」という状態に苦しんでいました。
これは左右の耳で違う音程が聞こえたり音楽が歪んで聞こえたりする症状だそうです・・・。
1920年、75歳で音楽院を退きましたが、その2年後にフォーレへの公開式典、国民的「オマージュ」が開催されました。
ミルラン首相と並んで貴賓席に座ったフォーレですが、その時には<演奏されている自作の曲を聴くことはできなかったのだそうです。(涙)
1924年9月11日、彼は最後の曲である「弦楽四重奏曲 ホ短調」 を書き上げました。
その2ヶ月後、フォーレは79歳の生涯を閉じました。
それでは「弦楽四重奏曲 ホ短調」をイザイ四重奏団の演奏でお聴きください。
5月13日は佐渡裕の誕生日
5月13日は佐渡裕さんの誕生日です。
佐渡裕さんは1961年5月13日、京都市に生まれました。
今日で64歳になられます。
テレビで見る佐渡裕さんは優しくて親しみやすい方ですよね。
でもレナード・バーンスタインや小澤征爾さんのお弟子さんで、レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクールで優勝し「レナード・バーンスタイン桂冠指揮者」の称号を授与されるというすごい方です。
佐渡裕さんのプロフィールはオフィシャルサイトからご覧ください。
http://yutaka-sado.meetsfan.jp/profile/
2022年に「笑ってコラえて!」で、佐渡裕さんが高校の吹奏楽部を指導するというのがあっていましたが、最後の合同演奏の様子にとても感動しました。
各校の先生達も生徒達と一緒に演奏し、佐渡さんからダメ出しを受けていました。
佐渡裕さんのまなざしが温かい!
あそこにいた高校生達、あの経験はきっと一生の宝物になったでしょうね。
2022年12月に、熊本で佐渡裕さん指揮のシエナ・ウインド・オーケストラ「ブラスの祭典2022」がありました。
私はワクワクして待っていたのに、チケットを買ってなかったのに気づき、ローソンに走ったのですが完売だったという悲しい思い出があります。
こちらは佐渡裕さん指揮、シエナ・ウインド・オーケストラによる「キャンディード序曲」です。
「題名のない音楽会」のテーマ曲として2015年まで、佐渡裕さん指揮で流れていましたね♪
5月14日はバイエルの命日
5月14日はバイエルの命日です。
フェルディナント・バイエルは1806年7月25日、ドイツのクヴェーアフルトに生まれました。
12歳でライプツィヒの神学校に入学し、音楽を学びました。
その後、彼はマインツに移住し、ピアノ教師をしながらショット社の専属作曲家として多くの作品を出版しました。
そして、1850年にショット社から出版された「ピアノ奏法入門書(バイエルピアノ教則本)」は世界的ベストセラーになります。
日本には1881年、アメリカ人ルーサー・ホワイティング・メーソンによって紹介され、「ピアノの教則本と言えばバイエル」という決定的な地位を築きました。
私も周りの友達もピアノを習っている子はみんなバイエルをしていましたが、バイエルが作曲者の名前だとは知りませんでした。
私は大人になり、もう一度バイエルをやりました。
そして、一曲一曲の良さを改めて知りました。
こちらは小原孝さんのバイエルの演奏です。
5月15日はモンテヴェルディの受洗日
5月15日はモンテヴェルディが誕生後の洗礼を受けた日だそうです。(誕生日は不明です)
クラウディオ・モンテヴェルディは1567年に北イタリアのクレモナに生まれ、5月15日に受洗しました。
幼い頃にはクレモナ大聖堂の楽長、マルカントニオ・インジェニェーリの下で学び、モテット集とマドリガーレ集を出版しています。
後に、マントヴァのヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの宮廷に歌手およびヴィオラ・ダ・ガンバ奏者として仕え、1602年には宮廷楽長となりました。
彼は近代オペラの基礎を築いた人と言われていますが、びっくりしたのは、最初のオペラ「オルフェオ」で初めて、各声部をどの楽器で演奏するかが楽譜に明記されたのだそうです。
今では当然のことですよね。
今、私達が接する音楽は昔の音楽家達の努力と工夫によるものなんですね!
こちらは「オルフェオ」からトッカータとオペラについての解説です。
5月16日はジャネット・ジャクソンの誕生日
5月16日はジャネット・ジャクソンの誕生日です。
ジャネット・ジャクソンは1966年5月16日、インディアナ州ゲーリーに10人兄弟の末っ子として生まれました。
マイケル・ジャクソンの妹さんです。
彼女はアメリカを代表するエンターティナーですよね!
「それが愛というものだから」「トゥゲザー・アゲイン」など10曲で全米No.1を記録しています。
また「ビルボードの選ぶ歴史上最も偉大なHot100女性アーティスト」において3位でした!
昨年3月には5年ぶりの日本公演がありました。
圧巻のパフォーマンスとともに尊敬すべきは、なくならない紛争や人種差別などの社会問題に堂々と立ち向かう姿勢です。
こちらは「Together Again」です。
5月17日はサティの誕生日
5月17日はサティの誕生日です。
エリック・サティは1866年5月17日、フランスのオンフルールに生まれました。
「音楽界の異端児」と言われるエリック・サティは1879年、13歳でパリ音楽院に入学しますが、1886年 20歳の時に音楽院を退学します。
教授達から才能がないと言われ、除籍になったのだそうです。
でもその後、有名な「ジムノペディ」などを発表しています。
酒場などで演奏していたサティの曲は、客の邪魔にならない音楽いわゆるイージーリスニングのルーツのようなものでした。
それにしても「犬のためのぶよぶよした前奏曲」や「胎児の干物」「でぶっちょ木製人形へのスケッチとからかい」など、タイトルが変すぎます。(笑)
彼はモンマルトルのカフェ・コンセール「黒猫」で芸術家達と交流し、ドビュッシーに大きな影響を与えました。
こちらは辻井伸行さん演奏の「ジムノペディ 第1番」です。
私の中学2年生の生徒さんは、この曲を弾けるようになりたくてピアノを始めました。
5月18日はマーラーの命日
5月18日はマーラーの命日です。
グスタフ・マーラーは1860年7月7日、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ)のカリシュトに生まれました・
彼は幼少期から音楽の才能を発揮し、4歳でピアノを始め、15歳でウィーン音楽院に入学しました。
彼は作曲家としてだけでなく、指揮者としても活躍しました。
38歳でウィーン・フィルの指揮者となり、49歳の時はニューヨーク・フィルの指揮者となりました。
しかし、1911年5月18日、心臓の病気により50歳でこの世を去りました。
私が教員になった頃、日本ではマーラー・ブームが起きていたようで、マーラー=巨人くらいの浅はかな知識しかなかった私はマーラー聴かなきゃ!という気持ちになりました😅
そして初ボーナスでステレオコンボとレコードを買いました。
日本でCDが発売されるようになったのは、それから6年程後のことです。
マーラーの長ーい曲も盤を入れ替えずに聴けるようになりました😊
こちらは交響曲第1番第3楽章です。
マーラーは後に「巨人」の標題を破棄したそうです。
5月19日はチャールズ・アイヴズの命日
5月19日はチャールズ・アイヴズの命日です。
アイヴズは1874年10月20日。アメリカのコネチカット州で生まれました。
彼はイエール大学で作曲を学んだのですが、卒業後はプロの作曲家にならずに保険会社に入社しました。
後には友人と共に保険会社を設立し、副社長を務めました。
そして趣味として作曲を続け、多くの作品を残しました。
彼は「素敵な妻と子供がいるのに、不協和音のために子供を飢えさせることができるものか」という名言を残しています。
すごいですね!!
生前、彼の曲はあまり受け入れられなかったようですが、マーラーは交響曲第3番を賞賛したと言われています。
こちらは、レナード・バーンスタイン指揮、 ニューヨーク・フィルによる交響曲第3番「キャンプの集い」です。
5月20日はクララ・シューマンの命日
5月20日はクララ・シューマンの命日です。
クララ・シューマンは1819年9月13日、ドイツのライプツィヒに生まれました。
クララ・シューマンと言えばあまりにも有名で、その生涯は映画や舞台、伝記などになっていますね。
天才女性ピアニストであり作曲家。
そして夫ロベルト・シューマンとの間に8人の子どもをもうけ、妊娠と出産を繰り返しながらヨーロッパ中で公演活動をするという驚くべきエネルギーを持った女性でした。
クララ・シューマンは1896年5月20日、76歳でこの世を去りました。
こちらは、やはり天才ピアニスト藤田真央さんによる「3つのロマンス」です。
5月21日~31日 ワーグナー、伊福部昭など
5月21日はスッペの命日
5月21日はスッペの命日です。
フランツ・フォン・スッペは1819年4月18日、現在のクロアチアに生まれました。
20代で父親が亡くなると母親の故郷ウィーンに行き、パリのオッフェンバックと人気を二分するオペレッタ作曲家となります。
スッペと言えば、小学校の音楽の教科書にも載っていた「軽騎兵」序曲を思い出される方が多いことでしょう。
それから「恋はやさし野辺の花よ」はタイトルを見ただけでメロディーが思い浮かぶのではないでしょうか?
日本では浅草オペラで大ヒットした「ボッカチオ」の中のアリエッタです。
「ボッカチオ」はマリア・カラスのデビュー演目だそうです。
こちらはエリーザベト・シュヴァルツコップによる「恋はやさし野辺の花よ」です。
5月22日はワーグナーの誕生日
5月25日はリヒャルト・ワーグナーの誕生日です。
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは1813年5月22日にドイツのライプツィヒで生まれました。
ワーグナーというと、オペラ「ローエングリン」の「婚礼の合唱」(結婚行進曲)や「タンホイザー」の「タンホイザー行進曲」などが浮かんできますよね。
ワーグナーは音楽だけでなく、台本も自分で執筆し「楽劇王」と言われています。
また自身の作品を上演するための専用劇場「バイロイト祝祭劇場」を設立し、現在もワーグナー音楽祭が開催されています。
こちらは「ジークフリート牧歌」です。
これは1870年12月25日、ワーグナーが妻コジマに贈った誕生日兼クリスマスプレゼントです。
結婚の喜びと息子ジークフリートを生んでくれたことへの感謝の想いが込められています。
5月23日は齋藤秀雄の誕生日
5月23日は齋藤秀雄さんの誕生日です。
齋藤秀雄さんは1902年5月23日、東京に生まれました。
齋藤秀雄さんはチェロ奏者、指揮者であり日本の誇る音楽教育者、桐朋学園大学の創立者の一人です。
小澤征爾さんは齋藤さんの一番弟子です。
齋藤先生の「指揮法教程」は大学の時も吹奏楽の顧問をしていた時も大事なテキストでした。
齋藤先生は「まず型に入れ、そして型から出よ」「心で歌え!心で歌え!」などの名言を残されています。
没後10年にあたる1984年には小澤征爾さん達、教え子が主体となってサイトウ・キネン・オーケストラが創設されました。
5月24日はエトムント・アンゲラーの誕生日
5月24日はエトムント・アンゲラーの誕生日です。
エトムント・アンゲラーは1740年5月24日、オーストリアのチロル地方に生まれました。
あの有名な「おもちゃの交響曲」を作曲した神父さんです。
子どもの頃は小学校の教師で合唱団の指導者でもあった父親から音楽の手ほどきを受け、児童合唱団に入っていました。
そして修道士になり、そこでは合唱指導やオルガン奏者、音楽教師をしました。
彼は数多くの教会作品やオペレッタなどを作曲したそうです。
しかし「おもちゃの交響曲」がアンゲラーの作品だと分かったのは、死後2世紀を経た1992年です。
それまでは、作曲者はハイドンではないかとかモーツァルト親子ではないかなどと言われていましたが、1992年にシュタムス修道院の音楽蔵書の中から「おもちゃの交響曲」の写譜が発見され、そこに「エトムント・アンゲラーが1770年頃に作曲した」と書かれていたそうです。
「おもちゃの交響曲」は「ベルヒテスガーデンの音楽」と呼ばれ、それはベルヒテスガーデンのおもちゃを加えた音楽を意味します。
ベルヒテスガーデンの木製玩具はとても有名で、今でも名産品だそうです。
チロル地方に行ってみたいものです。
こちらは神奈川フィル演奏の「おもちゃの交響曲」より第1楽章です。
5月25日はホルストの命日
5月25日はホルストの命日です。
グスターブ・ホルストは1874年9月21日、イギリスに生まれました。
ホルストと言えば組曲「惑星」ですよね。
ホルストは子どもの頃から病弱で、喘息と弱視、神経炎に苦しみました。
また真面目な性格で、賞賛を受けることが好きではなかったそうです。
組曲「惑星」は1914年から1916年にかけて作られましたが、彼が占星術に関心があったことと大規模な管弦楽作品を作りたいという願いによって完成しました。
私が初任の頃、中学校の音楽の教科書に「惑星」が鑑賞教材として載っていました。
私は「この組曲に冥王星が入っていないのは、作曲した時にはまだ発見されていなかったからなんだよ。」と自慢気に生徒に話しましたが、冥王星は2006年に惑星から除外されたので、組曲「惑星」には地球以外の全ての惑星が入っていることになります。
それでは、小澤征爾指揮、 ボストン交響楽団による「木星」をお聴きください。
5月26日は三浦環の命日
5月26日は、オペラ歌手、三浦環(たまき)の命日です。
三浦環は1884(明治17)年2月22日、東京に生まれました。
彼女は幼い頃から日本舞踊や長唄、箏を学びました。
そして1900年、東京音楽学校へ入学すると瀧廉太郎からピアノを、幸田延から声楽を学びました。
卒業後は母校の講師に、のちに助教授となって山田耕筰などを教えました。
三浦環は1915(大正4)年、ロンドンのオペラハウスで日本人初のプリマドンナとして「蝶々夫人」を演じ、以来「蝶々夫人」に2000回以上出演しました!
長崎市のグラバー園には、プッチーニの銅像とともに三浦環の像もあります。
朝ドラ「エール」の双浦環は三浦環さんがモデルになっています。
学生時代、アリア「ある晴れた日に」は私の憧れの歌でした。
こちらは三浦環による「ある晴れた日に」です。
5月27日はパガニーニの命日
5月27日はパガニーニの命日です。
ニコロ・パガニーニは1782年10月27日、イタリアのジェノヴァに生まれました。
5歳でヴァイオリンを始めたパガニーニは13歳では学ぶことがなくなったそうです😳
私だったら何回人生送っても学ぶこと減らないな…。
そして自分で超絶技巧を開発していきました。
その技術のあまりの凄さに「悪魔に魂を売った」とまで噂されます。
リストはパガニーニの演奏を聴いて、「僕はピアノのパガニーニになる!」と情熱に火がついたのだそう。
リストの「ラ・カンパネラ」はパガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の主題を編曲したものです。
こちらはユリア・フィッシャーによるヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章です。
5月28日は石井眞木の誕生日
5月28日は石井眞木の誕生日です。
石井眞木さんは1936年5月28日、東京に生まれました。
父親は舞踊家の石井漠さん、また同じく作曲家の石井歓さんはお兄さんです。
父親の舞踊音楽を担当したのが伊福部昭だったので、幼い頃からその影響下にありました。
国立音楽大学付属高校を卒業すると伊福部昭に作曲を学びました
その後ベルリンに留学し、十二音技法など最先端の音楽技法を学びます。
26歳で帰国後は、日本やアジアの伝統音楽と西洋の前衛的手法を結びつけた作品を作ります。
33歳でベルリン市の招きにより再度渡独してからはベルリンと東京を本拠に作曲家、指揮者として精力的に活動しました。
尾高賞や日本伝統文化振興賞、紫綬褒章など多くの受賞歴があります。
こちらはオフィシャルサイトです。
息子さんである石井敬さんが管理しておられます。
こちらは尾高賞を受賞した日本太鼓とオーケストラのための「モノプリズム」です。
5月29日はイサーク・アルベニスの誕生日
5月29日はイサーク・アルベニスの誕生日です。
イサーク・アルベニスは1860年5月29日、スペインに生まれました。
彼は4歳でピアノを披露するほどの天才でした。
スペイン民族音楽の影響を受けた作曲家で、特に数多くのピアノ曲を残しています。
特に晩年に書いた組曲「イベリア」は彼の最高傑作と言われています。
こちらは亀井聖矢さんによる「イベリア」第2巻より「トゥリアーナ」です。
5月30日はドナウディの命日
5月30日はイタリアのオペラ作曲家ドナウディの命日です。
ステーファノ・ドナウディは1879年、シチリア島に生まれました。
オペラや歌曲、ピアノ曲などをたくさん残しましたが、特に歌曲集「古典様式による36のアリア」が有名です。
歌詞は詩人である弟のアルベルト・ドナウディが手がけています。
ちなみに同じイタリアのオペラ作曲家ドニゼッティと間違えそうになりますが、ドニゼッティはドナウディより約1世紀も前の人です。
こちらはパヴァロッティによる「ああ愛する人の」(「古典様式による36のアリア」より)です。
5月31日は伊福部昭の誕生日
5月31日は、あの「ゴジラ」のテーマ曲を作られた伊福部昭さんの誕生日です。
伊福部昭さんは1914(大正3)年5月31日、現在の釧路市に生まれました。
伊福部昭さんは「ゴジラ」だけでなく「ビルマの竪琴」や「座頭市」シリーズの音楽も手がけておられるんです。
でも映画音楽はその活躍の一部であって、多くの管弦楽作品を作っておられ、また音楽教育者としても素晴らしい功績を残されました。
そしてアイヌ音楽とも深い関わりを持っておられます。
伊福部昭さんのプロフィールやアイヌ音楽との関わりについては、こちらをご覧ください。
flowerlove.kumamoto.jp/ifukube-akira
昨年(2024年)7月、伊福部昭さんの生誕110年に合わせて伊福部昭記念館が鳥取市にオープンしました。
伊福部家はもともとは因幡の古代豪族だったので、鳥取はゆかりの地なんですね。
そこには東京世田谷区にあった伊福部さんの書斎が再現されていて、直筆の楽譜も置いてあるそうです。
とても興味深いです。
こちらは「シンフォニア・タプカーラ 」です。
https://www.youtube.com/watch?v=qVOM9fh_a7k&t=336s
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