全国の中学校の合唱コンクールや卒業式で歌われるようになった「群青」。
「群青」は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた福島県南相馬市立小高(おだか)中学校の生徒達と小田美樹先生によって作られました。
東日本大震災からもうすぐ13年。
現在の中学生はあの時のことを知りません。
それで、この曲にはどんな思いが込められているのか、その歌詞の意味について考えてみたいと思います。
合唱をする時のポイントについては、こちらにまとめています。
合唱曲「群青」について
合唱曲「群青」は、福島県南相馬市立小高(おだか)中学校の平成24年度卒業生と当時の音楽教師、小田美樹先生によって作られました。
小高中学校の校区は2011年の東日本大震災による原発事故のため、多くの住民が北海道から九州まで、散り散りに避難しなければいけませんでした。
平成24年度の卒業生が中学1年生の時です。
その学年の生徒は106名いたのですが、2人は津波の犠牲になり、97人が避難のために離れて行ったそうです。
残った生徒はわずか7名。
2年生になったその生徒達が大きな日本地図に仲間の顔写真を貼り付けながら、「遠いね」「でもこの地図の上の空はつながってるね」など、口々につぶやき出したそうです。
その日から小田美樹先生は生徒達のつぶやきを拾い、綴っていきました。
その生徒達の声をつなぎ合わせて歌詞が出来上がり、それに小田美樹先生が曲をつけて出来上がったのが「群青」です。
「群青」の歌詞の意味とその考察
それでは、「群青」の歌詞とその意味を考えていきましょう。
「群青」の歌詞
まず、「群青」の歌詞は以下のようになっています。
ああ あの街で生まれて君と出会い
たくさんの想い抱いて一緒に時を過ごしたね
今旅立つ日 見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず
「またね」と手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる 君の笑顔今でも忘れない
あの日見た夕日 あの日見た花火
いつでも君がいたね
当たり前が幸せと知った
自転車をこいで君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば群青に染まる
あれから二年の日が僕らの中を過ぎて
三月の風に吹かれ君を今でも想う
響けこの歌声
響け遠くまでも あの空の彼方へも
大切な全てに届け
涙のあとにも見上げた夜空に
希望が光ってるよ僕らを待つ群青の街で
ああー
きっとまた会おう
あの街で会おう 僕らの約束は
消えはしない 群青の絆
また 会おう
群青の街で
作詞 福島県南相馬市立小高中学校 平成24年度卒業生
JASRAC許諾第9025501001Y37405号
「群青」の歌詞の意味とその考察
次に「群青」の歌詞の意味について考えてみましょう。
「群青」は小高中生の色
小高中学校の校歌に「浪群青に躍るとき」という言葉があるところから、小高中の文化祭は「群青祭」と呼ばれているそうです。
群青色とは少し紫がかった深い青色だそうです。
まだふるさとに帰ることのできない元小高中生も、「群青」という言葉を聞くと、自分のことだと思うのでしょうね。
この「群青」は離ればなれになった元小高中生の心をつなぎ止めているものではないでしょうか。
「君も同じ空 きっと見上げてるはず」
中学1年生まで一緒に過ごした仲間達。
でも突然の別れが来て、今は会えない。
だけど、どこにいてもこの空はつながっているね。
自分の知らない遠くの地でがんばっている友への想いに溢れています。
中学卒業を前に、これからの道を進む決意も感じられますね。
「あの日見た夕日 あの日見た花火」
どこにでもある光景。
あの友と見るのが当たり前だった。
でも、もう、ここにあの友はいない。
震災は当たり前の日常を突然奪い去りました。
「当たり前」がどんなに幸せなことだったのか。
中学生のどうしようもない胸のうちが迫ってきます。
「希望が光ってるよ」
でも、絶望では終わらない子ども達の強さに感動します!
「希望」「光る」
明るい言葉が並びます。
この歌を作った小高中学校の卒業生は、今、青年になっていますね。
故郷に残った人も別の場所でがんばっている人もいることでしょう。
突然、全てのものを奪われた彼らが、それでも「群青」の歌詞に「希望」を記してくれたことを感謝したいと思います。
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