1月が誕生日・命日の音楽家には、モーツァルトやシューベルト、日本人では坂本龍一さんやいずみたくさんなどがおられます。
それでは、それぞれの音楽家達の生涯を覗いてみましょう。
1月1日~10日 スクリャービンやプーランク、三善晃など
1月1日はヨハン・クリスティアン・バッハの命日
1月1日はヨハン・クリスティアン・バッハの命日です。
ヨハン・クリスティアン・バッハはJ.S.バッハの11男、末っ子としてライプツィヒに生まれました。
15歳の時、父親が亡くなると、ベルリンの兄のもとに引き取られましたが、イタリア・オペラの魅力にはまり、20歳でイタリアに渡りました。
そしてミラノ大聖堂オルガニストを務めていましたが、次にロンドンに行き、その舞台作品が国王劇場で上演されるなど大成功を収めました。
1764年、父とともにロンドンを訪れた8歳のモーツァルトとは意気投合したそうです。彼の音楽はモーツァルトに大きな影響を与えました。
ヨハン・クリスティアン・バッハは1782年に急逝しますが、その頃モーツァルトが作曲していた「ピアノ協奏曲第12番」第2楽章の主題は、ヨハン・クリスティアン・バッハのオペラ「心の磁力」の序曲の中間部とほぼ同じです。
これは、ヨハン・クリスティアン・バッハに対する哀悼の気持ちが込められているのではと言われています。
こちらでは、ヨハン・クリスティアン・バッハの「心の磁力」序曲とモーツァルトの「ピアノ協奏曲 イ長調」第2楽章アンダンテを聴くことができます。
1月2日はバラキレフの誕生日
1月2日はバラキレフの誕生日です。
ミリイ・バラキレフは1837年1月2日、ロシアのニジニ・ノヴゴロドに生まれました。
「ロシア五人組」のまとめ役として有名ですね。
バラキレフは18歳でサンクトペテルブルクに上京し数学を専攻します。
有名な音楽家で数学を学んだ人って多いですね。
彼は無料音楽学校を設立しました。
そして帝室宮廷礼拝堂の監督と帝国音楽協会の指揮者に任命されました。
彼の指導力や発言力は素晴らしく、チャイコフスキーも助言を仰いだそうです。
代表作「イスラメイ」は最も演奏困難な曲として知られていますね。
「イスラメイ」と言ったら、やっぱり亀井聖矢さん!
それでは亀井聖矢さんのピアノで、東洋風幻想曲「イスラメイ」をお聴きください。
1月3日はジョージ・マーティンの誕生日
1月3日はジョージ・マーティンの誕生日です。
ジョージ・マーティンは1926年1月3日、ロンドンに生まれました。
彼はザ・ビートルズやその他の有名なアーティストのプロデューサーとして活躍しました。
特にザ・ビートルズのほぼ全ての作品に携わり、「5人目のビートルズ」とも呼ばれました。
1996年には音楽界への貢献に対してイングランド国王よりナイトの勲位を授与されました。
彼はクラシック音楽の基礎を学び、オーボエとピアノを専攻しています。
また作曲もする音楽家です。
そんな彼がいたからこそ、ザ・ビートルズの曲は23曲の全米No.1、30曲の全英No.1ソングを
例えば「イエスタデイ」。
この曲は初めてロックと弦楽四重奏がマッチングしたものです。
最初はポールのボーカルとアコースティックギターの演奏だけでしたが、ジョージ・マーティンが譜面を書き、楽団を呼んでレコーディングしたのだそうです。
その音楽的なひらめきとアーティストを全力で応援する気持ちが、あの名曲「イエスタデイ」を創り上げたのですね!
それでは、「イエスタデイ」を聴きましょう。
1月4日は今井重幸の誕生日
1月4日は今井重幸の誕生日です。
今井重幸は1933年1月4日、東京に生まれました。
今井重幸は伊福部昭の弟子です。
彼は小学3年生頃から曲を作り始めました。
17歳の時、NHK管弦楽コンクールに応募して落選するのですが、そのスコアを見た伊福部昭が彼に興味を持ったのだそうです。
今井重幸にとって伊福部昭は憧れの作曲家でした。
彼は伊福部昭の門下生となり、伊福部の映画音楽制作を手伝うようになります。
また「まんじ敏幸」という名前で舞台演出家としても活動を始めました。
今井重幸はテレビや映画、演劇、舞踏、純音楽と広い分野で曲を作り続けました。
映画音楽の中には「おきなわ戦の図・命どう宝」もあります。
有名な「原爆の図」の作者、丸木位里・俊夫妻を扱った作品です。
2002年、伊福部昭の米寿のお祝いには「オーケストラの為の『悠久の舞』」を作曲し、記念演奏会では自身の指揮で初演しました。
それでは、「悠久の舞」をお聴きください。
1月5日はニコライ・メトネルの誕生日
1月5日はニコライ・メトネルの誕生日です。
ニコライ・メトネルは1880年1月5日、モスクワに生まれました。
彼はモダニズムや前衛音楽から距離を置き、伝統的な手法で作品を作りました。
1917年にロシアで十月革命が起きますが、1921年にメトネルはロシアを離れパリに移住します。
その後彼がロシアに戻ることはなかったそうです。
1936年にはイギリスに移住し、その地で没しました。
彼の作品で代表的な「おとぎ話」のシリーズは中世ロシアから口伝により受け継がれた物語をもとにしたものです。
彼は約30年で38曲の「おとぎ話」を作曲しました。
それでは、イリーナ・メジューエワのピアノで「おとぎ話」作品26の第1曲をお聴きください。
1月6日はスクリャービンの誕生日
1月6日はスクリャービンの誕生日です。
アレクサンドル・スクリャービンは1872年1月6日、モスクワに生まれました。
ドビュッシーやシェーンベルクとともに20世紀現代音楽の先駆者の一人と言われています。
子どもの頃にピアノを始め即興演奏が得意だったスクリャービンは、10歳の時、自ら希望して陸軍兵学校に入学しました。
しかし虚弱体質であることと楽才があることからモスクワ音楽院への通学が許可されました。
その後正式にモスクワ音楽院に転学。
ラフマニノフとは同級生でした。
スクリャービンは手が小さいのに、絶技巧の難曲に挑戦していたため右手首を故障します。
それから左手を特訓し、「左手のための2つの小品」を作曲しました。
それでは、イリーナ・メジューエワのピアノで、「左手のための2つの小品」から第2曲 夜想曲をお聴きください。
1月7日はプーランクの誕生日
1月7日はプーランクの誕生日です。
フランシス・プーランクは1899年1月7日、パリで生まれました。
20世紀フランスを代表する作曲家の一人で「フランス6人組」のメンバーとしても知られています。
子どもの頃に聴いたドビュッシーの音楽に魅せられ、またシューベルトの「冬の旅」とストラヴィンスキーの>「>春の祭典」は彼に大きな影響を与えました。
ストラヴィンスキーは「黒人狂詩曲」の初演を聴いてプーランクの才能を見抜き、初期作品の出版を助けたそうです。
彼の作品は時には深い宗教的情感に溢れ、時にはユーモラスだったりするので、「修道僧と悪童が同居している」と表現されます。
それでは、「2台のピアノのための協奏曲」第2楽章を聴いてみましょう。
1月8日はヴラジーミル・フェルツマンの誕生日
1月8日はヴラジーミル・フェルツマンの誕生日です。
フェルツマンは1952年1月8日、モスクワに生まれました。
今年、73歳になられます。
11歳の時、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演でデビュー!
1967年にはプラハのコンチェルティーナ国際コンクールで優勝。
そして1971年にはロン=ティボー国際コンクールで優勝!
すごいですね!
しかし、ソ連からの出国を計画したために公の場で演奏することが禁止され、8年後にやっとソ連を出て、1987年にアメリカに移住しました。
最後に来日したのは2007年でしょうか?
こちらはその時のハイドンのピアノソナタです。
1月9日はラインハルト・カイザーの誕生日
1月9日はラインハルト・カイザーの誕生日です。
ラインハルト・カイザーは1674年1月9日、ドイツのトイヒェルンに生まれました。
ドイツバロック音楽の作曲家で、ハンブルクで活躍していたヘンデルとテレマンに並ぶ巨匠として扱われていたようです。
カイザーは100を超えるオペラを作曲しましたが、劇的な表現力と美しい旋律で人気を集めました。
また宗教音楽や器楽曲も手がけ、バッハなど同時代の作曲家に影響を与えたそうですが、彼の作品は時代とともに忘れられていきます。
しかし今再び注目を集めています。
歌劇「クロイソス」からシンフォニアをお聴きください。
1月10日は三善晃の誕生日
1月10日は三善晃さんの誕生日です。
三善晃さんは1933年1月10日、東京に生まれました。
幼児期は自由学園でピアノや音楽の基礎を学んだそうです。
大学は東京大学文学部仏文科で、在学中にパリ国立高等音楽院に留学という経歴をお持ちです。
大学卒業後は東京芸術大学や桐朋学園大学で教え、1974年から1995年まで桐朋学園大学長を務めました。
1996年から2004年までは東京文化会館長に。
その間、様々な受賞歴がありますが、1996年、フランス政府から芸術文化勲章オフィシエ章を受賞。
2001年には文化功労者に選ばれました。
三善晃さんの作品は近代フランス音楽の影響が大きく、様々なジャンルの曲を作られましたが、2000年代からはピアノ曲と合唱曲がほとんです。
それでは、谷川俊太郎さん作詞の「生きる」を東京混声合唱団の演奏でお聴きください。
1月11日~20日 ケッヘル、坂本龍一など
1月11日はワンダ・ウィウコミルスカの誕生日
1月11日はヴァイオリニスト、ワンダ・ウィウコミルスカの誕生日です。
ワンダ・ウィウコミルスカは1929年1月11日、ポーランドのワルシャワに生まれました。
彼女は様々なコンクールで受賞し、1952年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでは、ポーランドの作曲家シマノフスキの「ヴァイオリン協奏曲 第1番」を初めて演奏し、準優勝に輝きました。
ポーランド政府からは、ポーランドの音楽を世界に広めた貢献によりポーランド国家勲章を授与されました。
彼女は世界中で演奏旅行を行い、多くの有名なオーケストラとの共演を果たしています。
彼女の音色は豊かで深みがあり、繊細な抒情性と力強さの調和が特徴でした。
またポーランドの現代音楽を積極的に紹介し、多くの新作を初演しました。
ヘンリク・ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番をお聴きください。
1月12日は三木たかしの誕生日
1月12日は三木たかしさんの誕生日です。
三木たかしさんは1945年1月12日、東京に生まれました。
黛ジュンの「夕月」、西城秀樹の「君よ抱かれて熱くなれ」、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」、テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」、坂本冬美の「夜桜お七」などの作曲者です。
どれも大ヒット曲ですよね!
黛ジュンさんは実の妹さんです。
三木たかしさんは歌手を目ざして船村徹さんに弟子入りしたのですが、「君は作曲家の方が向いている」と言われ、作曲の道に方向転換しました。
1982年から2年間放送された「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の中で歌われた「めだかの兄妹」や「もしも明日が…。」も三木たかしさん作曲だそうです。
ああ、懐かしいです。
それから、「それいけ!アンパンマン」のオープニングテーマ「アンパンマンのマーチ」とエンディングテーマ「勇気りんりん」も三木たかしさん作曲って知ってましたか?
私は知りませんでした。(汗)
「アンパンマンのマーチ」は名曲ですよね!!
東日本大震災の時、どれだけの人々を励ましたか!
私は熊本地震の後、熊本に来られた東京混声合唱団のアカペラでこの曲を聴いた時は感動で涙が止まりませんでした。
それでは埼玉県合唱連盟による「アンパンマンのマーチ」をお聴きください。
1月13日は橋本祥路の誕生日
1月13日は橋本祥路さんの誕生日です。
橋本祥路さんは1948年1月13日、秋田県に生まれました。
今年77歳になられます。
中学生が歌う人気の合唱曲をたくさん作曲された方です。
「明日という大空」「夢の世界を」「遠い日の歌」「時の旅人」「カリブ夢の旅」「心の中にきらめいて」・・・どのタイトルを見ても、その時、練習に取り組んでいた生徒達の様子が浮かんできます。
特に「心の中にきらめいて」は、卒業式での在校生の歌にしたことが多いので、とても懐かしいです。
本当に橋本祥路さんにはどれだけお世話になったことか。
橋本祥路さんは教育芸術社で合唱曲集の編集をされていましたが、その時「みんなが歌えて、楽しめる合唱曲集」をテーマにされていたそうです。
おかげで、子ども達が合唱に親しむことができるようになったと思います。
ありがとうございました!
橋本祥路さんが「心の中にきらめいて」について解説しておられる動画を見つけましたのでご紹介します。
この歌にはベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の第2楽章のメロディーが使われています。
学生の頃、歌ったことがある方も多いことでしょう。
1月14日はルートヴィヒ・フォン・ケッヘルの誕生日
1月14日はルートヴィヒ・フォン・ケッヘルの誕生日です。
あの、モーツァルトの作品についている「ケッヘル番号」を作った人です。
ケッヘルは1800年1月14日、オーストリアに生まれました。
彼は1850年から10年以上、モーツァルトの故郷ザルツブルクで暮らします。
1851年、友人のフランツ・ローレンツから著作「モーツァルトのこと」が送られてきて、そこにはモーツァルトの作品が散逸してしまうのではないかという懸念が書いてありました。
それに刺激されたケッヘルは作品目録の作成を開始したのだそうです。
そして1862年、「モーツァルト全音楽作品の年代別主題別目録」を出版しました。
モーツァルトの家族でも親友でもないのに、モーツァルトの膨大な作品の分類をやり遂げるなんて、ケッヘルってすごい人ですね!
彼は植物学や地理学の分野でも大きな功績を残しています。
ケッヘルの多才さと研究への情熱のおかげで、現代の私たちはモーツァルトの作品に触れることができるんですね。
それでは、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をトン・コープマンの指揮で聴いてみましょう♪
1月15日は小山清茂の誕生日
1月15日は小山清茂の誕生日です。
小山清茂は1914年1月15日、長野県に生まれました。
「管弦楽のための木挽歌」を作曲した人です。
私が教員になった時、この曲は中学音楽の教科書に載っていました。
私は教員になって初めてこの曲を聴いたのですが、その魅力にはまり、教育センターなどに赴いてこの曲の教材研究をしたのを覚えています。
小山清茂は山深い里の農家に生まれ、幼い頃、西洋音楽に触れる機会はなかったそうです。
でも彼の周りには祭りの音楽や民謡があふれていました。
小学校の高学年の時、軍楽隊の演奏を聴いたのが、作曲家を志すきっかけになったそうです。
「まるで夢のような体験だった」と語っています。
それでは、「管弦楽のための木挽歌」を聴いてみましょう。
1月16日はアンリ・ビュッセルの誕生日
1月16日はアンリ・ビュッセルの誕生日です。
アンリ・ビュッセルは1872年1月16日、フランスに生まれました。
アンリ・ビュッセルはシャルル・グノーの秘書を務めながら、1893年、ローマ大賞音楽部門で第1等を受賞しました。
そして、10歳年上のドビュッシーと親しくなり、ドビュッシーのピアノ連弾曲「小組曲」や「春」などのオーケストレーションをしたことで有名になりました。
またドビュッシーの唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」の初演で合唱の指揮をしました。
パリ音楽院作曲科の名教師でもありました。
アンリ・ビュッセルは101歳という長寿を全うし、1973年12月30日にこの世を去りました。
それでは、アンリ・ビュッセル編曲、指揮でのドビュッシー作曲「小組曲」をお聴きください。
1月17日は坂本龍一の誕生日
1月17日は坂本龍一さんの誕生日です。
坂本龍一さんは1952年1月17日、東京都世田谷区で生まれました。
2023年3月28日に、世界中の人々に惜しまれながら71歳の生涯を閉じられましたね。
「戦場のメリークリスマス」は英国アカデミー賞 – 作曲賞を受賞しましたが、メインテーマ「メリー・クリスマス ミスターローレンス」は今でも多くの人に愛されています。
私は、2001年の「地雷ZEROキャンペーン」での「ZERO LANDMINE」が、とても印象に残っています。
坂本龍一さんは東日本大震災を体験した若者を支援するために「東北ユースオーケストラ」を作られましたが、2022年3月26日の「東北ユースオーケストラ演奏会2022」に出演されたのが、公の場での最後の生演奏でした。
亡くなる2日前の2023年3月26日には「東北ユースオーケストラ」の演奏会をオンラインで鑑賞され、終演後に出演者達に「みんなありがとう」とメッセージを送っておられます。
若者達を心から愛しておられたのですね。
2022年12月に配信されたピアノソロコンサートは、その年の9月に一日数曲ずつ演奏して作られたものです。
昨年2024年、このピアノソロコンサートの音源「Opus」がグラミー賞候補になりましたね!
そして、今年1月3日から「Ryuichi Sakamoto | Playing the Orchestra 2014」が全国公開されています。
坂本龍一さんが指揮とピアノで東京フィルハーモニー交響楽団と共演される2014年東京公演を映画化したものです。
こちらから全国の上映予定を見ることができます。
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=RyuichiSakamoto
それでは、「Ryuichi Sakamoto | Playing the Orchestra 2014」の予告編をどうぞ。
1月18日はエマニュエル・シャブリエの誕生日
1月18日はエマニュエル・シャブリエの誕生日です。
エマニュエル・シャブリエは1841年1月18日、フランスに生まれました、
狂詩曲「スペイン」を作った人ですね。
この曲は1882年にスペインを旅行した時の印象をもとに作られました。
エマニュエル・シャブリエは子どもの頃からピアノや作曲が好きで、ピアノは天才的な腕前だったそうです。
でも、父親の意向で法律を学び、内務省に就職した。
彼は仕事をしながらフォーレなどの音楽家と親交を持ち、作曲も続けていました。
そんなシャブリエでしたが、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞して刺激を受け、音楽の道に進む決心をしました。
そして39歳の時に内務省を退職し、作曲家として本格的に活動を始めました。
しかし、病気のために1894年、53歳でその人生に幕を下ろしました。
それでは、カラヤンの指揮で狂詩曲「スペイン」を聴いてみましょう。
1月19日は小倉朗の誕生日
1月19日は小倉朗の誕生日です。
小倉朗は20世紀日本音楽界を代表する作曲家の一人です。
彼は1916年1月19日、福岡県に生まれましたが、生後まもなく銅鉄商小倉家の養子として東京に住むことになりました。
独学で作曲を学び、西洋音楽の技法と日本の伝統音楽を融合させた独自の作風を築きました。
若い頃はドイツ古典音楽に傾倒していきましたが、戦後、それまでの多くの作品を破棄してしまいました。
戦後はNHKの契約作曲家として多くの作品を書き、「舞踊組曲」や「コンポジション」など独自のスタイルを築き上げました。
「交響曲ヘ長調」は1950年のNHKの懸賞で2位を受賞しますが、これも破棄されます。
それでは1968年に作曲された「交響曲ト調」をお聴きください。
1月20日はいずみたくの誕生日
1月20日はいずみたくの誕生日です。
昭和を代表する音楽家の一人、いずみたくは1930年1月20日、東京に生まれました。
彼はポピュラー音楽からミュージカル、アニメソング、CMソングまで幅広いジャンルの曲を作りました。
美空ひばりの「真赤な太陽」、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」、テレビアニメ「サザエさん」のテーマソング、「徹子の部屋」のテーマ、「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌、「いい湯だな」、「手のひらを太陽に」など、数えたらきりがありません。
どれも、すぐにメロディーが浮かんでくるものばかりです。
作った曲の総数は実に15,000曲に上るそうです!
またミュージカルの分野でも活躍し、日本初の本格的なミュージカル劇団「いずみたくフォーリーズ」を設立しました。
私は2回、ミュージカル「おれたちは天使じゃない」を観ましたが、楽しさと感動に満ちていました。
いずみたくさんは戦後の日本に楽しさや希望を届け続けた人なのですね!
いずみたくさん、ありがとうございました♡
それでは、坂本九さんの歌で「見上げてごらん夜の星を」を聴きましょう♪
1月21日~31日 モーツァルト、シューベルトなど
1月21日はアンリ・デュパルクの誕生日
1月21日はアンリ・デュパルクの誕生日です。
フランス後期ロマン派の作曲家であるアンリ・デュパルクは1848年1月21日、パリに生まれました。
1868年には歌曲集を、1869年にはピアノ曲集を初出版しました。
1871年にはビュシーヌやサン=サーンスとともに国民音楽協会を設立。
しかし、1885年、37歳の時に突然作曲ができなくなりました。
原因は「神経衰弱」と言われています。
その結果、視覚と聴覚が次第に失われていきました。
彼は自分に厳しく、ほとんどの作品を破棄したのですが、歌曲を中心とした数少ない作品は傑作として残っています。
それでは、夜想詩曲「星たちへ」をお聴きください。
1月22日はチョン・ミョンフンの誕生日
1月22日はチョン・ミョンフンの誕生日です。
チョン・ミョンフンは1953年1月22日、ソウルに生まれました。
今年で72歳になられます。
現在、東京フィルの名誉音楽監督を務めていらっしゃいます。
1974年チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で第2位。
その後、パリ・バスティーユ管弦楽団の音楽監督やサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の首席指揮者などを歴任し、数々の著名なオーケストラと共演してこられました。
1997年にご自身が創設されたアジア・フィルの音楽監督も務めておられます。
2001年、東京フィルのスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーに、2016年9月に名誉音楽監督に就任されました。
今年(2025年)2月の東京フィルの定期演奏会ではベートーヴェンの「ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲」のピアノと指揮をされるそうです!
また今年2025年10月から11月、東京フィルはチョン・ミョンフンさんとの初めてのヨーロッパ演奏旅行を予定しているそうです。
それでは、チョン・ミョンフン指揮、東京フィルの演奏でマーラー交響曲第2番「復活」の一部をお聴きください。
1月23日は葉加瀬太郎の誕生日
1月23日は葉加瀬太郎さんの誕生日です。
葉加瀬太郎さんは1968年1月23日、大阪府生まれました。
今年で57歳になられます。
2025年春には、デビュー35周年を迎えられます。
葉加瀬太郎さんのプロフィールはオフィシャルサイトからご覧ください。
ヴァイオリニスト
1968年1月23日 大阪府生まれ1990年KRYZLER&KOMPANYのヴァイオリニストとしてデビュー。
セリーヌ・ディオンとの共演で世界的存在となる。
1996年にKRYZLER&KOMPANYを解散後、ソロでの活動を開始。
2002年、自身が音楽総監督を務めるレーベルHATSを設立。
2007年秋から、原点回帰をテーマにロンドンへ拠点を移す。
年間100本にも及ぶ公演を行い、留まることなくチャレンジを 続ける葉加瀬。
2023・2024年春には、西村由紀江( ピアノ )・柏木広樹( チェロ )とのトリオ編成による極上の室内楽コンサートツアーを開催。
2024年秋には、2020 年からコンサートツアーメンバーとして参加している日本のトップミュージシャン 9 人からなる通称「スーパーバンド」と葉加瀬太郎が、ツアーメンバーの枠を超え、唯一無二のバイオリンを主軸とした『TARO HAKASE & THE LADS』を新たに結成。
2024年2月に東京・南青山のブルーノート東京公演でデビューし、9月から全国ツアー「VIBRANT」(40公演)を開催。豊富な音楽経験と、それぞれが多種多様の音楽ジャンルで活動をしてきた平均年齢 60 歳のイケオジが奏でるバンドサウンドは、ジャズ、ロック、ラテンなど、さまざまなジャンルを超えたグルーブ感を創り出した。
2025年春には、デビュー35周年を迎え、3年ぶりに「オーケストラコンサート2025 ~The Symphonic Sessions~」を開催。演奏活動のみならず、作曲家として450曲以上を作曲。
映画やドラマ、ニュース、バラエティーなどのテレビ番組のテーマソングも 数多く手がける。また、企業の社歌やイメージソングも多数。
常に新しいことに挑戦し、変化し続け、唯一無二である「葉加瀬太郎」独自の世界を築き上げている。東京芸大客員教授
相愛大学客員教授
葉加瀬アカデミー校長
デビュー35周年の今年2025年は「オーケストラコンサート2025 ~The Symphonic Sessions~」を開催されます♪
日程はこちらです。
https://taro-hakase.com/blogs/live_info/2025-the-symphonic-sessions
それでは、朝ドラ「てっぱん」の主題曲「ひまわり」をお聴きください。
1月24日はフリードリヒ2世の誕生日
1月24日はフリードリヒ2世の誕生日です。
フリードリヒ2世は1712年1月24日、神聖ローマ帝国に生まれました。
彼は第3代プロイセン国王ですが「フリードリヒ大王」と呼ばれています。
音楽やその他の芸術を愛し、軍事や国家経営に力を発揮しました。
バッハが「音楽の捧げ物」を捧げた王様としても有名です。
1747年、フリードリヒ2世が35歳の時、J.S.バッハに与えたテーマをもとに「音楽の捧げもの」ができたと言われています。
王自身もフルート奏者であり、作曲もしました。
彼の作曲数は多く、フルート・ソナタだけでも121曲もあるそうです。
それでは、「フルート・ソナタ第261番 ヘ長調」をお聴きください。
1月25日はヴィルヘルム・フルトヴェングラーの誕生日
1月25日は指揮者であり作曲家だったヴィルヘルム・フルトヴェングラーの誕生日です。
フルトヴェングラーは1886年1月25日、ベルリンに生まれました。
1922年、36歳の若さでベルリン・フィルの常任指揮者となり、1947年から1954年まで終身指揮者を務めました。
フルトヴェングラーは戦時中、ナチスに非協力的で、当時ドイツの新進作曲家であったパウル・ヒンデミットを擁護するため、新聞に「ヒンデミット事件」と題した論評を載せました。
ナチスに公に意見するなど、生死に関わる問題なのに、フルトヴェングラーの勇気と決断力はすごいものですね!
それなのに、戦時下のナチス体制の中で演奏活動を続けたフルトヴェングラーは、戦後、ナチスへの協力者とみなされ、2年間はドイツでの活動ができなかったのです。
それでは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の冒頭をお聴きください。
1月26日は天野正道の誕生日
1月26日は天野正道さんの誕生日です。
天野正道さんは1957年1月26日、秋田市に生まれました。
今年で68歳になられます。
天野正道さんはありとあらゆるジャンルで活躍を続けてきた、日本を代表する作曲家・編曲家・指揮者です。
日本におけるコンピュータミュージックの創始者の一人でもあられます。
天野正道さんは国立音楽大学作曲科を首席で卒業後、同大学院作曲専攻創作科を首席で修了されました。
私は吹奏楽の作曲者としての印象が強いのですが、天野正道さんのあらゆるジャンルでの音楽創造の根源には吹奏楽があるそうです。
2023年の吹奏楽コンクール課題曲「レトロ」でも大きな話題になりました。
天野正道さんは「音楽を聴くのは楽しい、音楽を演奏するのはもっと楽しい、音楽を作るのはもっともっと楽しい。」と言われます。
作曲の時、スコアは頭の中で何千回も何万回も鳴っているそうです!
頭の中を覗いてみたいです。
それでは、天野さん指揮による課題曲クリニックでの「レトロ」の演奏をお聴きください。
1月27日はモーツァルトの誕生日
1月27日はモーツァルトの誕生日です。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年1月27日、オーストリアのザルツブルクで生まれました。
モーツァルトは900曲以上もの作品を作りましたが、そのうちオペラは未完成も含め、21作品と言われています。
その中でモーツァルトが生涯の最後に完成させたのが「魔笛」です。
それでは、オペラ「魔笛」より「パパゲーノとパパゲーナの二重唱(パパパの二重唱)」を聴いてみましょう。
1月28日はフェルディナン・エロルドの誕生日
1月28日はフェルディナン・エロルド(エロール)の誕生日です。
フェルディナン・エロルドは1791年1月28日、パリで生まれました。
主にオペラやバレエ音楽の作曲で知られています。
父親はJ.S.バッハの二男、C.P.Eバッハの弟子でした。
フェルディナン・エロルドは幼い頃から音楽の才能を示し、パリ音楽院で学び、21歳でローマ大賞を受賞しました。
彼の作品は、軽快なメロディーと洗練されたオーケストレーションが特徴で、代表作にはオペラ「ザンパ」やバレエ音楽「ラ・フィユ・マル・ガルデ(わがまま娘)」があります。
しかし、結核のため43歳という短い生涯を閉じました。
生家のある通りは、生誕90周年にあたる1881年に、彼をたたえて「エロルド通り」と名付けられました。
それでは、オペラ「ザンパ」序曲をお聴きください。
1月29日はクライスラーの命日
1月29日はフリッツ・クライスラーの命日です。
ヴァイオリニストであり作曲家のフリッツ・クライスラーは1875年2月2日、ウィーンで生まれました。
幼い頃から神童として注目され、10歳でウィーン高等音楽院を首席で卒業、さらにパリ高等音楽院を12歳にして首席で卒業しました。
1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、クライスラーはフランス国籍を取得し、パリに移住します。
「サウンド・オブ・ミュージック」を思い出しますね。
代表作には「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」などがあります。
この3曲は「ウィーン古典舞曲集」とされ、今もよく演奏されますね。
クライスラーは1923年に一度だけ来日しました。
帝国劇場でのリサイタルはすばらしいものだったようで、永井荷風もその感想を日記に書いているそうです。
それでは、「愛の喜び」をお聴きください。
1月30日はイサーク・ドゥナエフスキーの誕生日
1月30日はイサーク・ドゥナエフスキーの誕生日です。
ドゥナエフスキーは1900年1月30日、ウクライナに生まれました。
子どもの頃から音楽の才能を示し、10歳で音楽学校に入学し、20歳で作曲家・指揮者としてデビューしました。
彼はオペレッタやバレエ、歌曲、劇音楽、管弦楽団のための作品、ピアノ曲など様々なジャンルで曲を書き、またソ連で最初にジャズを取り入れた一人でもあります。
そんな彼を一躍有名にしたのはジャズ・コメディー「陽気な連中」の劇中曲です。
彼はユダヤ人の家系に生まれ、その作品もユダヤ人がテーマになることがありましたが、スターリン政権下でずいぶん制限があり、公開できないこともあったようです。
また彼の作るマーチはとても人気で、いろいろな場面で使われてきました。
それでは、ドゥナエフスキー自身の指揮で「コンサート・マーチ」をお聴きください。
1月31日はシューベルトの誕生日
1月31日はシューベルトの誕生日です。
フランツ・ シューベルトは1797年1月31日、ウィーンで生まれました。
シューベルトは31年という短い生涯の中で1000曲ほどの作品を残しました。
その中で歌曲が600曲以上あり、「歌曲の王」と呼ばれています。
子ども時代から才能を発揮したシューベルトは、11歳の時に宮廷礼拝堂の少年聖歌隊に入り、帝室王立寄宿制学校で音楽を学びました。
その後、父の勤めていた学校に教師として就職しますが、その仕事には全く魅力を感ぜずに作曲ばかりをしていたそうです。
音楽室でシューベルトの肖像画を見たと思いますが、丸ぶち眼鏡が印象的ですよね。
彼は寝る時も眼鏡をかけたままだったそうです。
それは、寝ている間に音楽が浮かんだ時にもすぐに記録するためだったとか。(笑)
彼はオペラで成功した訳ではないので大舞台に立つ機会は少なく、貧しかったようですが、シューベルトの人柄と才能に惹きつけられた仲間が集まり、パーティーが開かれるようになりました。
それが「シューベルティアーデ」です。
そこでは、シューベルトの新作などが披露され、遠くからやって来る人達もいたようです。
そんなシューベルトですが、病魔に冒され、1828年11月19日に31歳の生涯を閉じることになりました。
シューベルトの遺体はヴェーリング墓地のベートーヴェンの墓のそばに埋葬されましたが、ヴェーリング墓地が廃止されたので、現在はベートーヴェンとともに中央墓地の名誉区に眠っています。
それでは、シューベルトが死の前年に作曲した歌曲集「冬の旅」から「菩提樹」をお聴きください。
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